monkey magic

Eテレの「2355&0655 年越しをご一緒にスペサル」を見ていたら申年に突入していて、その後眠って目が覚めたら東の空の果てが朱色に染まっていた。慌てて近くの山道を高台まで飛ばして、初日の出にはなんとか間に合った。

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太陽礼拝。冬の冷たい朝の空気の中で、その年のはじまりを祝う気持ちを祈りに変える。いつもは月に祈る日々を、年のはじめのこの日だけは太陽へ捧げる。特別な朝。昨年は臨めなかったそれを、今年見ることができたのは、きっと。


願わくば、この年を惑うことなく歩ませてほしい。大切なひとたちと共に。

last sheep

え、大晦日?
うん、おおみそか。

そんな感じでひつじ年が終わりそうです。
今日は朝から溜まってたお洗濯物を干して、ようやくクリスマスツリーをしまいこみ、柔軟剤入りのお湯で絞った雑巾でお掃除して(埃がつきにくくなるとか)、先々週末に買ったハーブの苗をやっと植え替えて、なんとかひといき。
夜は、大量に作ったお雑煮のおすそわけを持って、親戚のひいおばあちゃんのお家へ。明日食べてねと言いながら、江戸っ子の母に教わったお雑煮はなぜか関西の白味噌仕立てで、母方の祖母の出が京都だからって聞いた気がするけど、父方は元々山口だからそっちに倣っただけだったかな、とかぼんやりとしたルーツを思い、何にしてもこの関東の片田舎が地元のひいおばあちゃんの口に合うのか少し心配になった帰り道。スタバのイケメン店員さんに、良いお年を、と言われ、上機嫌のまま「よいおとしを」と返して帰り着きました。お風呂と炬燵の至高ぷりったらない。

今年は思ったほど辛くなかった…と言うと嘘になるけど、いろんなひとにそっとしあわせを与えてもらったような、そんな気がします。そっと、だけど、ものすごく力強いひかりを。だから、山あり谷あり、浮かんだり溺れたり、それでも歩き続けることができました。
強すぎるひかりで、いっときは銀河系の遥か彼方で迷子になって途方にくれたこともあったけど、わたしを連れ戻してくれたのもやっぱりひかりでした。いつも見守っていてくれてありがとう。来年は少しずつでも返していけたらいいなと思います。
そして何よりも、待っていてくれたひとのやさしさが痛いくらいに沁みました。ごめん。ありがとう。そんな言葉くらいしか出てこないのがもどかしいくらい。いろんな思いが渦巻いて、でもそれ以上に、今こうしてここに一緒に生きていられることがしあわせです。だから、来年もまた、一歩ずつ確かめ合って進んでいきたい。そんな所存であります。

いつの間にか、行く年来る年が始まっていました。きっと新年もこのまま、そっと、でも確実に始まっていくんだろうなと思います。
関わっていただいたすべての人に、感謝と、ふたたびのよろしくを。
わたしはまた、しあわせなままで生きていきます。
今日を、大切に。

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camellia I

先日帰省した折に、ずっと会ってみたいと思っていた女性と、念願叶って一緒にお茶をすることになった。意外にも切り出したのは彼女の方からで、私は少し面食らいながらも、いつも画面越しに見ている淡い色をした彼女の姿を思い描き、迷わず待ち合わせの返事を送った。
彼女に教えられた県立図書館前のカフェはとても静かで、路地に面した大きな窓ガラスからは空の色がよく見えた。十五時を少し回った冬の空は既に金色に染まりかけていた。私は店の入り口近く、窓を正面に見るソファ席へ陣取ることにし、透き通る声で注文を取りに来た店主へ黒豆きなこミルクティを注文して、そっとソファへ背を預けた。
テーブルの端には、ガラス製のクリスマスツリーと、手作りと思われる絵本が積み重ねられていた。一冊を手に取り、中をめくる。品書きも手書きで味のあるエッセイ本のようだったのを思い出し、そっと店主を見やる。東洋の出で立ちをしたその横顔が少しこちらを向いたようにな気がして、咄嗟に面映くなりそっと視線をずらす。その間際に垣間見た指先のやわらかな動きから、店主がここで毎日を丁寧に生きていることが窺い知れた。
彷徨わせた視線をそっと手元の本に落とす。この本もあの指先から紡がれた物語なのだろうか。そんなことを思いながら頁を読み進めていく。何かを伝えようとするその優しい語り口に、これからやってくる彼女が深く読み入る様を勝手に思い浮かべる。私よりも若くて、それなのに私よりも大人である彼女。何かに対峙することを恐れない、真っ直ぐな子どものようなひと。
その時、手元の携帯がメッセージの着信を伝えて小さく震えた。きっと彼女からだろう。息を整えて、窓外の空を一瞥してから、メッセージを開く。

今つきましたので、入りますね

自然と口元が緩む。
この店を勧めてくれた彼女は、一体どんなひとなのだろうか。

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過去に生きている

この前、大昔に縁があった人をSNSで見かけた。彼女は私から当時の恋人を奪っていった女性で、そもそもそれ以前からどうにも相容れなくて、でもなんとなく近寄らずにはいられない、とても奇妙な関係だった。私は彼女が羨ましくて仕方がなくて、そしてまた、負けたくなかった。彼女の何に勝ちたいのかはわからなかったけれど、自分が手を汚さないぎりぎりの範囲まで近寄って、いつも彼女をじっと観察していた。彼女も彼女で、そうやってじっと射程範囲ぎりぎりの線を踏み越えてこようとしない私に苛立ち、でも興味をそそられていたのだろうとは思う。
だから、彼女が彼の隣に立つようになった時点で、私と彼女の間には、彼に選ばれた者と選ばれなかった者としての明確な優劣の関係が出来上がった。そんな思春期の苦々しい思い出がよみがえって、腹の中がすっと冷えていくのがわかった。

 

でも、いつの日かぶりの彼女は、あの頃とは違って、とてもきらきらして見えた。
あの頃とは違う笑顔で、しあわせそうにしていた。

 

なんだ、と拍子抜けして、それから、ばかばかしくなってしまった。
いつまでも勝ち負けに拘って臨戦態勢を取っていたのは自分だけで、彼女はとっくにもう、私なんか追いつけない場所まで高く舞っていた。
勝手に他人と自分を比べて、自分が劣っていると思いたくなくて、変な感情にしがみついて、結果的に私は少しも成長しないまま歩いてきてしまった、ただそれだけだったのだ。

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別に劣っていたっていいし、負けたっていい。
選ばれなくたっていいし、愛されなくてもいい。
そんなことで自分の価値が下がるわけじゃないんだ。

 

そう思ったら、彼女のことはすっかり気にならなくなった。
もちろん、そこに辿り着くまでに何度も波が押し寄せて、空しくて悲しくて、そして当時の別れを思い出して、少し泣いたけど。
彼女は私を解放するために、もう一度私の前に現れたのかも知れない。

だとしたら、悔しいけど、ありがとう。

 

何かを伝えるということ

以前から聞いているPodcastで、「表出」と「表現」の違い、を話していて、おお、と腑に落ちた。表出とはむき出しの感情をそのまま出しただけ、表現は目的意識を持ってそれを伝える(ようとする)こと、という解釈をした。

腑に落ちたというのは、自分の核になる「字を書くこと」「ピアノを弾くこと」について考えたときに、この二つが自分の中でどうあったのか、どういう変化をして今に至ったのかをなんとなく理解できたような気がしたからだ。どちらも好きで好きで仕方がないことなのに、どちらも思うように表現する=他人に思いを伝える技術がない(できなかった)。それでもそこに拘るからには、上手くできない原因を確かめておきたいと思っていたところに、冒頭の話が降ってきてすこんと嵌まった。今回はそんな、自分が勝手に腑に落ちた話。

 

昔は、自己主張したいときに専ら字を書いていた。文章、だなどとはおこがましくて到底言えそうにない文字の羅列をひたすら書き連ねていた。どこかで見たような主人公とヒロインが出てくる話だとか、トレンディドラマを架空の学園生活に落とし込んだような話だとか。でも、その話の根には、稚拙ながらも、何かしらの伝えたいものが横たわっていたと思う。それは十代特有の孤独感とか、何者かになりたいけれど慣れた輪を抜け出せないジレンマとか、少し歪んだ性とか愛とか。

今はもう、主張したいほどの強い思いを抱くこともあまりなくなってしまった。だから、こうして文章を書いていても、それはあの頃のような(稚拙ではあったけれども)「表現」にまで昇華できるほどのものではなくて、だからただの「表出」に留まってしまうのだと思う。そしてそれが、ブログで長文を書くという行為よりも数段安易なTwitterFacebookなどのSNSへの短文投稿ばかりになってしまう原因なのだろう。

 
その一方で、四歳の頃から弾いていたピアノは、多感な時期には「弾かなくてはならない」というものになっていた。レベルが高すぎる周囲に合わせて、同じものを求められるのが苦痛だった。自分が求める立ち位置はここにはないと思っていた。
小さい頃は、「エリーゼのために」を弾くのが最終目標で、発表会のたびに着実にレベルアップしていく演奏曲がうれしくて、何時間も練習していた。譜面のとおりに指が動く、音が鳴る、それが楽しかった。
でも、年齢が上がるにつれて、「表現」を求められるようになって、つらくなった。だって、まずベートーベンがエリーゼの何を思ってあの曲を作ったのか、全然理解できなかった。愛する人のために書いた曲がこんなに悲しい曲なの? もっと華やかで愛を感じる曲であるべきじゃない? 自分がそう思っているのに、先生の求める「表現」はできないなと無意識のうちに悟っていた。そんなことが続いて、私は開き直って譜面どおりに指を動かすことだけをゴールに再設定した。でも、圧倒的に練習量が追いつかなくなりいつまでもゴールに到達しないことがつらくなって、結局ピアノをやめてしまった。
でも、歳を重ねた今になってまたピアノを弾きたくなっている。というか、自己流で少しずつ弾いている。そして、弾いているうちに、あの頃は全くわからなかった「表現」が少しだけ見えるようになった。エリーゼがどんな女だったのかは知らないし、二人がどんな関係だったのかも、ベートーベンが何を考えていたのかも知る由はないけれど、とりあえずベートーベンはしあわせじゃなかったのだ。
 
 
と、自分の核になる部分において、大人になって失ったもの、逆に手に入れたもの、それらが「表出」と「表現」で繋がっていたことに改めて気がついたというお話。
まあ、文章を書くことにしても、ピアノを弾くことにしても、あの頃ひたすら続けていたことが今、少しでも自分の実になっているのだとしたら、それはやっぱりあの頃の自分のおかげなので、そこは少しだけ称えてあげていいのかも知れない。
そう思うけれど、少なくとも文章を書くことに関しては、一年後もこのブログをちゃんと続けられていたら褒めてあげる、ということにしよう。

初恋

高校生のときに初めて付き合った同級生は、その男が敬愛する吉井和哉の「アンニュイ」だと感じられる部分について相当な影響を受けていた。あの目だとか、声だとか、歌い方だとか、立ち居振る舞いだとか。常に細かすぎて伝わらない物真似をしているようにも見えた。家庭環境が複雑だと言っていたので、多感な時期特有の人生の迷子さんだったのだろう。放っておいたらその辺で野垂れ死ぬことも厭わないような、そのくせ誰かに拾われるのを待っている仔猫のような、そういうめんどうな感じのする、母性本能をくすぐるのがうまい男であった。
私たちは夏の初めに付き合い始めて、たった二週間で別れてしまった。別れを切り出したのは相手の方からで、その理由もよくわからないものだったが、私はその夏をひたすら泣いて過ごす羽目になった。彼が好きだった音楽を聞きながら、吉井和哉という男を通して、いつまでもいつまでもその男を追いかけていた。
だから、吉井和也というアーティストは、私にとってはあまり近寄りたくないアーティストだった。あの泣いて過ごした夏のことを、丸ごと記憶の彼方に葬り去っておきたかった。

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それなのに、今年の春、宇多田ヒカルの楽曲を13人のアーティストがカバーしたというアルバムで、真っ先に、そして唯一、聴くことにしたのは、吉井和也の「Be My Last」、それだけであった。曲目を見た瞬間からもうそれは決まっていた。
もうあの夏から15年が経って、私の中の不幸の象徴のような存在だったあの人も結婚したのだという。私ももう、泣いた記憶に蓋をするのではなく、楽しかった記憶を愛してあげていいのかも知れない。

昔どこかで見たもの

とても懐かしいものを見つけてしまった。

その当時の回答なんてとっくに忘れてしまったけど、はっきりとわかるのは、今やってみても「なんでこうも当たるのか」ということだけ。

 

ここから下は1行ずつ、ゆっくり読み進めてください。
※先を読むのは厳禁なのです。


このゲームを考えた本人は、メールを読んでから
たったの10分で願い事がかなったそうです。
 
 
このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を
貴方にもたらすでしょう。
 
 
約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。
たったの3分ですから、ためす価値ありです。
 
 
まず、ペンと、紙をご用意下さい。
先を読むと、願い事が 叶わなくなります。
 
 
 
 
1)まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
 
   
 
 
 
 
 

 
2)1番と2番の横に好きな3~7の数字をそれぞれお書き下さい。

 
 
 
 
 
 
   
3)3番と、7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。
(必ず、興味のある 性別名前を書く事。
 男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同性の名前をかく)
 
 
 
 
 
 

 
   
必ず、1行ずつ進んで下さい。
先を読むと、なにもかもなくなります。
 
 
 
 
 
 
  

4)4、5、6番の横それぞれに、
  自分の知っている人の名前をお書き下さい。
  これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。
 
 
 
 
 
 
   

まだ、先を見てはいけませんよ!!

8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
 
 
 
 
 

 
   
5)最後にお願い事をして下さい。
 
 
 
 
 

 
   
さて、ゲームの解説です。
  

 
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
 
 
 
   
2)3番に書いた人は、貴方の愛する人です。
 
 
 
   
3)7番に書いた人は、好きだけど叶わぬ恋の相手です。
 
 
 
 
 

4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
 
 
 
   
5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
 
 
 
   
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
 
 
 
   
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
 
 
 
   
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
 
 
 
   
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
 
 
 
   
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
 
 
 

   
これを読んでから、1時間以内にブログに貼り付けてください。
 
そうすれば、願い事は叶うでしょう。

 

 

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  1. 3
  2. 5
  3. 相方氏
  4. Oさん
  5. Yくん
  6. Fちゃん
  7. Hさん
  8. 君が思い出になる前に
  9. ANNIVERSARY
  10. Unfair World

そんなわたしの回答はこうだった。人生歌が「Unfair World」というのも、どれだけわたしの人生はHARD MODEなんだろうかと思わなくもないけれど、きっと雪平さんの一万分の一くらいならわたしもアンフェアな世界に生きているんだろう。

別に願い事が叶ってほしいから貼り付けたわけでは断じてない。でも、叶ったらいいなとは思っている。